学ぶことの可能性

勉強は才能か

勉強は才能に左右されないと言うと噓になる。
「数か月で難関大受かりました」「中学生で大学数学まで余裕」
こういう人たちはたぶん才能だろう。

ただ、自分が自分のためにする勉強はここまでの才能はなくとも、みんなが狙えるのではないかと思っている。
義務教育での学力差はほとんどスタートダッシュの違い。
スタートダッシュが遅れても加速すればいいし、自分にとって必要なレーンだけ走ればいい。

 

勉強して得られること

学校で勉強することの多くは将来直接使うことは少ない。
電卓も翻訳アプリもあるし、調べれば大抵のことが出てくる。

しかし、自分で学んで自分で理解することが自分の視野を広げる。
本を読んで本からそのまま内容を理解できて自分で考えを持てる人、本の内容は理解できるけど自分の中でかみ砕くことは難しい人、そもそも本から読むことは難しい人
この差が自分の視野を変えると思う。

人間は自分にとって未知であることには抵抗する。
知っていることが増えれば、イライラすること、不安になること、偏見は減る。
勉強はこれに貢献する一つの手段だ。

 

勉強と学習

ここまで偉そうに勉強は必要と言ってきたが、明確には”勉強”に重点は置いていない。
勉強は学問的なものであり、受動的で嫌なものというイメージが付きまとうことが多い。
私が重要だと思っているのは”学習”だ。

家庭環境、障害、病気、性格、学校、様々なものに左右されて学習に抵抗を持ってしまった人に学習の楽しさを提供し、苦しむ人を減らしたい。